第13章 老年期の発達:喪失とサクセスフル・エイジング
13-1. 高齢化と老年期
13-1-1. 高齢化の進展
高齢化
老年期をいかに生きるか、いかに支えるか
発達を生涯発達の視点から捉える動き
日本は世界有数の長寿国(厚生労働省, 2016)
1950年の平均寿命
女性: 62.97歳
男性: 59.57歳
2015年の平均寿命
女性: 87.05歳
男性: 80.79歳
単に人々が長生きするようになっただけでなく、乳児死亡率が劇的に低下したことも関係している(保志, 1997)
少子化
人口に占める65歳以上の高齢者の割合も増加
1950年: 4.9%
1985年: 1割を超える
2015年: 26.7%
2040年: 36.1%(見込み)
13-1-2. 老年期の区分
高齢者の年齢を区分する試みも様々になされている
日本の行政区分(2008年以降)
発達心理学の分野
その後高齢化が進んだため、新たに85歳以上を超高齢期(oldest-old)と区分することが提唱された(Rosenwaike, 1985; Suzman et al., 1992) バルテスらも70歳から100歳の高齢者を対象としたベルリン加齢研究に基づき提案(Baltes, 1998; Baltes & Mayer, 1999) エリクソンの発達段階は妻ジョウンによる最晩年の論考では、老衰に向き合う80代以降の人々を対象に、第9段階「老年的超越」が加えられている(Erikson & Erikson, 1997) 13-1-3. 老化
自立して生活を営める健康寿命は男性で71.19歳、女性で74.21歳とされる(厚生労働省, 2014) 何らかの形で人の世話を必要とする期間が男性で約9年、女性で約12年に及ぶことを示す
中年期には体力の衰えや視力の低下、白髪の増加や記憶力の低下として感じられた老化現象が、老年期に入ると様々な面に広がってくる
30代から徐々に各機能の低下が生じているという(保志, 1997)
身体の機能
反応系(感覚・神経・運動)
最も早期に老化が現れ、かつ急速に進む
視力や聴力の低下、思考や判断のスピードの低下、転倒や骨折のしやすさといった変化
個体保存系(消化・呼吸・循環・泌尿)
機能が著しく衰退すると死につながるとされる
種族保存系(生殖)
老年期にはすでにその役割を終えており、健康上の影響は少ない
調節系(神経性調節、液性調節(ホルモン))
機能が著しく衰退すると死につながるとされる
生体防御系(免疫)
疾患の罹りやすさと関連
老化には体質や生活習慣などによる個人差も大きいと言われる
老化現象は子どもの成長と同様人の目につきやすいため、老年期=衰退という見方が一般的で否定的に受け取られる傾向にあった
健康に留意した生活をおくることで、身体機能を維持したり、疾病を予防したりできる
加齢とともに心理的にも肯定的な変化が見られることが明らかになった
13-2. 認知能力の発達
13-2-1. 流動性知能と結晶性知能
1960年代以降、バルテスらが中心となって、老年期の知能の理論的・実験的解明が進められ、老年期の発達の可塑性や獲得的側面が明らかにされるようになった 1930年代から50年代にかけて実施された研究では、知能は20歳前後でピークを迎え、それ以降徐々に低下すると言われていた(高橋・波多野, 1990)
文字や図形を使った関係の操作や推理(情報処理)をすばやく行う力のこと
青年期にピーク
敬虔を通して獲得された一般的知識や問題解決能力、言語能力
70代まで伸び続けるとされる
19歳から72歳のタイピストを対象とした研究では、単語やアルファベットのタイプは若い人のほうが速いものの、意味のある文章を打つ場合には経験豊かな人の方が速いことが見出されている(Salthouse, 1984)
その後の研究によれば、流動性知能のすべてが青年期以降下がり続けるわけではないことも示されている
帰納的推論など流動性知能の中身によっては、成人期や老年期も比較的安定して保たれているという すべての知能が一律にじわじわと衰えるわけではなく、一部の機能がある時期急に衰えること、一部の機能が衰えたとしても他の機能は維持されていること、中年期から老年期にかけて知能が安定している人と、低下する人の個人差が大きくなってくることなどが明らかにされている(鈴木, 2008)
13-2-2. SOCモデル
加齢に伴う能力の伸びや維持は熟達化の成果だけでなく、目的を精選し、自らの限られた資源(時間や労力)を効率的に配分し、うまくいくよう工夫するという戦略によるところも大きい 選択(Selection)
自らの持てる資源を認識し、それをどこに振り向けるか(目標)を選択すること
最適化(Optimization)
目標に対して資源配分の調節を行い、努力を継続すること
補償(Compensation)
今までのやり方でうまくいかなくなったときに、新しいやり方を工夫すること
その後の研究では、SOCが認知能力の維持のみならず、サクセスフル・エイジングの戦略としても用いられていること、SOCは成人期に最も活発に行われており、老年期にはそのうち「喪失を見越しての選択」がよく使われていることなどが明らかにされている(Freund & Baltes, 1998; 2002) 13-2-3. 英知の獲得
結晶性知能に近い概念として、バルテスらは英知についても研究を行っている 「人生に関わる重要だが不確かな出来事に対するよい判断」と定義し、検討を行った(Baltes & Staudinger, 2000)
「15歳の女性が好きな男性と今すぐに結婚したいと言っています。それについてどうすべきだと思いますか」
回答を5つの評価基準に沿って分析
事例に関する知識
ノウハウに関する知識
発達環境についての知識
相対性の考慮
不確実性への理解
これらの評価基準に沿って英知を測定してみると、単純に年齢とともに増加するとは言えず、自らの過去を振り返り、人生経験を内省することが英知を高めることが示唆されている(鈴木, 2008) 近年では訓練による高齢者の認知機能の向上・維持も確認されている(Willis et al., 2006)
しかしながら、認知能力の獲得や維持が生じるのは主に70代までであり、80代になると認知能力は低下し始め(岩佐ら, 2005)、死の数年前には知能の急激な低下が生じることが示唆されている(Baltes & Labouvie, 1973)
認知の力の低下は高齢者の日常生活を困難にするばかりでなく、経済被害に遭う確率も高める(安田, 2011)
13-3. サクセスフル・エイジング
13-3-1. サクセスフル・エイジングとは
老年期を健やかに過ごすためにはどうしたらよいか、に関する研究から生まれた概念
初期の論考では2つの対立する理論があった
老年期も成人期と同じだけの活動をできるだけ長く続けることが望ましい
離脱理論
活動から徐々に離れていくほうが望ましい
継続理論: 個人のパーソナリティや過去の経験との連続性を重視する見方(Atchley, 1989)
ハヴィガースト(Havighurst, 1961)は、サクセスフル・エイジングの定義や測定方法が多様であることを指摘したうえで、活動と離脱のどちらが望ましいかはパーソナリティによって異なるとした ニューガーデン(Neugarten, 1972)はサクセスフル・エイジングの鍵となるのは人生満足度であり、それにはパーソナリティの他、健康や収入、社会的つながりなども影響するため、エイジングのプロセスは個人差が大きいと論じた 1980年代に脳科学、遺伝学、疫学、社会学、心理学、医学などの学際的な研究者集団によって、サクセスフル・エイジングに関する大規模な実証研究が開始された
この研究でのサクセスフル・エイジングの定義
病気や障害のリスクの最小化
心身の機能の維持
社会との関わりの継続
心理的機能の維持には、遺伝のほか、教育や運動、自己効力感が影響していることを見出した(Rowe & Kahn, 1998)
13-3-2. 加齢に伴う肯定的な変化
自己や自分の人生に対する肯定的な感情は、成人期から老年期にかけて上昇、もしくは維持されることが示されている(唐澤, 2012; 松岡, 2006; 高橋・波多野, 1990)
パーソナリティには生涯を通じた安定性が見られる一方、誠実性や調和性、情緒安定性といった肯定的特性は加齢とともに高まる傾向にある(Funder, 2010; Roberts et al., 2006)
他者への寛容性や許しの気持ちも老年期に高まることが示されている(Girard & Etienne, 1997; Graham & Weiner, 1991)
ロビンズら(Robins et al., 2002)はウェブ調査により人種や国籍、社会階層の異なる32万人以上の自尊感情を調べ、年令による違いを検討した 自尊感情は10代から20代初めにかけて低下する一方、40代後半から上昇し60代でピークを迎えることが示された
50代以降は年齢ごとのばらつきが大きくなることや、10代から見られた性差が70代以降縮小することも示されている
自らの生きる環境を主体的に制御する力は成人期を通して増す傾向にあり、それに伴って自己や人生に対する肯定的感情も高まってくるものと思われる
SOC方略を用いる高齢者ほど、幸福感や肯定的感情が高く、孤独感が低いことが示されている(Freund & Baltes, 1998)
限られた人生を意義のあるものにしようとする情動的制御が年齢とともに強くなることも関係していると言われる(Cartensen et al., 2003; Charles et al., 2003)
環境を制御する力は徐々に弱まるため、それを補うために、自分の見方や考え方を制御することが必要になってくる(竹村・仲, 2013)
健康寿命を超えると自分自身を制御する力も低下するため、どうしても否定的勘定を経験しやすくなる(東, 2012)
ロビンズらの研究でも自尊感情が70代後半から低下することが示されている 13-4. 人生の統合
13-4-1. インテグリティと知恵
エリクソンはこの時期の発達課題を「インテグリティ vs 絶望」と表現している 「自分の唯一の人生周期を、そうあらねばならなかったものとして、またどうしても取替えを許されないものとして受け入れること」と定義されている(Erikson, 1950)
最終的に「よく生きた」と自分の人生を受け入れることができたとき、統合が達成され、知恵が獲得されるという 「死そのものに向き合う中での、生そのものに対する聡明かつ超然とした関心」と定義される(Erikson et al., 1986; Erikson & Erikson, 1997)
バルテスの英知とエリクソンのいう知恵は英語ではどちらもwisdom
定義こそ違うものの、響き合う部分もあり、いずれも人生経験を振り返る事が重要であるという点において共通
高齢者の心理療法に回想法(ライフレビュー)を取り入れたバトラー(Butler, 1963)によれば、回想を通して抑うつや不安の低下、有能感やアイデンティティ感覚の向上がみられたという。 同様の効果は日本でも確認されている(河合ら, 2013)
「よい聴き手」の存在は高齢者が人生を統合するのを助ける(守屋, 2006)
自分の人生を統合できると、死への恐れも少なくなる(Fortner & Neimeyer, 1999)
死を恐れる気持ちは青年期から中年期にかけて強くなる一方、健康な高齢者ではあまり見られないという(Gesser et al., 1987-88; Shimonaka & Nakazato, 1989)
人によってはさらに「老年的超越」へと至り、物質的・合理的な視点を離れ、神秘的・超越的な視点から、死を親しいものとみなすようになるとされる(Erikson & Erikson, 1997) 13-4-2. 時代と老い
晩年の作品にしばしば登場するテーマは「喪失」や「不在」(やまだ, 2004; 吉田, 1998)
喪失に対して若い登場人物はしばしば葛藤するが、老いた登場人物は諦観と寛容によって喪失を受け入れる 長期にわたる介護は介護する側の精神的・身体的負担を強める(杉原ら, 1998)
介護される高齢者にも影響を与えうる
発達における主体的制御の役割は、死に至るプロセスではその力は徐々に小さくなっていくものと思われる
死は関わりのあった人々に悲しみをもたらす一方、人間的成長を促し(東村ら, 2001)、次世代の生き方を形作るのに貢献していくと思われる
エリクソンが指摘したように、発達は歴史的相対性とともにある(Erikson & Erikson, 1997)